2022年は凄まじい数のスニーカーがリリースされています。

復刻からインスパイアモデル、人気コラボまで注目作で溢れかえっていますね。

ここで思ったのですが、SNKRSの説明などで、急に復刻!とかアーカイブモデルにインスパイア!って言われてもわからないことってありませんか?

これらの文言からわかるのは、ナイキはこれまでの歴史も売りしているブランドであるということ。ということはその足取りを知れば、今のスニーカーライフがもっと楽しくなるのでは!

そこで今回は、Nike(ナイキ)の歴史をリリースされがちな名作シューズとともに振り返っていきたいと思います!

 

目次

 


現在のナイキ

歴史を振り返る前にナイキの基本情報をおさらいしておきましょう。

ナイキはアメリカ・オレゴンを本社とする世界有数のスポーツブランド。数々のトップアスリートや有名チーム、そしてアーティストに至るまで契約を結び、さまざまなカルチャーに大きな影響を与えていました。

スニーカー界もその一つで、即完売するモデルはもちろん、アプリ”SNKRS”を筆頭に多くのユーザーが注視するサービスも展開しています。

まぎれもないスニーカー界の絶対王者です。

 

1971年 ナイキ誕生

それでは、ナイキの歴史を堪能していきましょう!

ナイキが”ナイキ”となる以前の1960年代、「Blue Rebbon Sports(ブルーリボンスポーツ)」という名前でオニツカタイガー(現アシックス)のスポーツシューズをアメリカで販売していました。

1968年には、創設者のフィル・ナイトと陸上界のレジェンドであるビル・バウワーマンなどのアイディアでランニングシューズ「コルテッツ」を製造。

このモデルはのちにナイキとオニツカタイガーで商品名の使用権を争う裁判ざたを引き起こします。(結果はナイキの勝訴)

1971年、オニツカタイガーとの提携が終了することとなり、ギリシャ神話の女神から名付けた「Nike」と現在にも続くロゴ「スウッシュ」が誕生しました。

『Nike Cortez & Onitsuka Tiger Tiger Corsair』

 

1978年 エア誕生

ブランド独立後、ビル・バウワーマンを中心とした新商品開発を進めていきます。

この時、今でも続くワッフルシリーズを筆頭にクッションにこだわりを見せたランニングシューズを展開することに。

1978年にはナイキの運命を大きく変える「Air(エア)」を搭載した初号機「エア テイルウィンド」を発売しました。

『Nike Air Tailwind』

 

1982年 エアフォース1

80年代当時のナイキは活躍著しいランニングシューズ業界だけでなく、他のスポーツシューズも次々と世に繰り出します。

そのうちの一つ「バスケットボールシューズ」への参入はナイキはおろかスニーカー界の運命を大きく変えました。

70年代からすでに「ブレーザー」など展開していましたが、1982年、ナイキブランドを絶対的なものとしたきっかけのシューズ「エアフォース1」をリリース。

NBAのトッププレイヤーを用いた広告を展開し、コート上だけでなくストリートでも一大ムーヴメントを引き起こしました。

『Nike Air Force 1』

 

1985年 エアジョーダンシリーズ始動

エアフォース1のリリースで波に乗るナイキでしたが、当時のバスケットボール業界を牽引していたのは、コンバース、アディダスです。

しかし、現在は圧倒的にナイキが一位、しかもコンバースはナイキに買収されています。

これほどの大逆転を生み出すこととなった出来事が「マイケル・ジョーダンとの契約」です。

1984年、まだデビューもしていない青年と契約したナイキは、翌年に名シグネチャーモデル「エアジョーダン1」をリリースします。

しかも、大学バスケットボールの盛り上がりから「ダンク」「ターミネーター」も同時展開しました。

『Nike AirJordan 1 ”Bred””』
『Nike Dunk & Terminator』

 

1987年 エアパック

『Nike Air Max 1 & Air Trainer 1』

1987年、ナイキの歴史に欠かせない人物の一人”ティンカー・ハットフィールド”によって「エアパック」というナイキエアを多用したコレクションが展開されます。

その目玉モデルと言えば、「エアマックス1」です。

このシューズは、ソールのエアを可視化させた近未来的なデザインで世間に衝撃を与えました。

エアパックには、さまざまな競技に使える画期的なシューズ「エアトレーナー1」やソファをモチーフにした「エアサファリ」なども包括されています。

『Nike Air Safari』

 

1989年 アウトドアライン”ACG”

ここまで、ランニングやバスケなどのスポーツ競技に革命を起こしてきたナイキ。

1989年には、アウトドアカテゴリーにも本格参入することとなります。

All Conditions Gearの頭文字をとった「ACG」ラインをスタートさせ、ハイキングで使える軽量シューズをリリース。

90年代に入ると、ACGはアウトドアファッションでも大いに注目を集めます。ティンカー・ハットフィールドがデザインした「エアモワブ」など、デザインに優れた名作を次々と生み出していきました。

『Nike ACG Air Mowabb (1992)』

 

1991~1993年 マイケル・ジョーダン3連覇

1984年に契約したマイケル・ジョーダンがNBAの頂点に君臨した1991から93年までの3年間。

ジョーダンの人気獲得とともにNBAリーグ、ひいてはシグネイチャーシリーズ「エアジョーダン」が大きく飛躍を遂げます。

1988年からティンカー・ハットフィールドがデザインを担当していた同シリーズより、エアジョーダン6、7、8がリリース。バスケ界でのナイキの地位を確固たるものにしました。

エアジョーダン5の時点ですでに殺人事件を引き起こしたほどの注目度を集めたこともあり、その人気はうなぎ上りだったそう。

また、「エアジョーダン7」よりエアジョーダンラインとして独立し、ナイキの通常モデルと一線を画すシリーズに昇華していきます。

『Nike Air Jordan 6』
『Nike Air Jordan 7』

 

1995~1998年 マイケル・ジョーダン2度目の3連覇

90年代後半のNBAは、マイケル・ジョーダンの2度目の3連覇や各チームのスタープレイヤーによって、絶大な人気を獲得します。

このブームはシューズ業界にも大きく影響を及ぼし、今でも名作と言われるモデルが多数登場することとなりました。

ジョーダン、ティンカーの双方が”史上最高のエアジョーダン”に名を挙げる「エアジョーダン11」もこの頃に誕生しています。

また90年代後半は、主張のあるデザイン性がメインストリームとなっており、「モアテン」、「ズームフライト95」など”エアジョーダンではない”ナイキのバスケットボールシューズも注目を集めました。

『Nike Air Jordan 11』
『Nike Air More Uptempo』
『Nike Air Zoom Flight 95』

 

1996年 日本で巻き起こったスニーカーブーム

このスニーカーブームの流れは日本にもやってきます。

1996年には、広末涼子さんや木村拓哉さんによって「エアマックス95」を中心としたハイテクスニーカーブームが発生しました。

このブームは各ニュース番組が取り上げるほどの熱気を帯びており、エアマックス狩りや海外でのスニーカー爆買いなど社会現象を引き起こしています。

『Nike Air Max 95』

 

2001年 藤原ヒロシとの契約

スニーカーブームを経験したナイキ、2001年にある重要な決断を下します。

それは、ファッション界に大きな影響を及ぼす人物「藤原ヒロシ」とアーティスティック・コンサルタント契約を結んだことです。

実は、ナイキは”ファッション”という用語が禁止にするほどスポーツに特化したブランドでした。

90年代からその方針は軟化し、日本限定のスニーカープロジェクト「CO.JP」企画をおこなっています。

この企画と藤原ヒロシとの契約はナイキのとって大きな方針転換を意味していました。

『Nike Air Jordan 1 “Fragment Design” (2014)』
『Nike Dunk “City Pack” (2010)』
『Nike “CO.JP”』

 

2002年 スケートボードライン”ナイキSB”

2002年、ナイキはスケートボーディング界に本格参入することを表明します。

ナイキのスケートボードライン「ナイキ SB」を誕生させ、4カラーの「ナイキ SB ダンク」をリリース。

2005年にはステイプル・ピジョンとのコラボモデル「ピジョンダンク」を発売しました。この発売時、警察が出動するほど、店舗に大群衆が押し寄せています。

この様子は米大手の新聞に取り上げられ、スニーカーカルチャーの熱気を世間に知らしめる出来事となりました。

『Nike SB Dunk “Staple Pigeon”』

 

2002年 Supremeとの初コラボ

ナイキSBの立ち上げによって現在まで続くSupremeとのコラボタッグがスタートします。

2002年、エレファント柄を採用した「Supreme × ナイキSB ダンク ロー」をリリース。

その後、「Supreme × エア モア アップテンポ」などを通し、確固たる名コラボとして名を馳せていきました。

『Nike Air More Uptempo “Supreme” (2017)』

 

2009年 カニエ・ウェストとのタッグ

ナイキでファッションが解禁、そしてコラボモデルの勢いも増すなか、2009年に米HIPHOPミュージシャン”カニエ・ウェスト”とのコラボモデル「エアイージー」を発売します。

彼のニックネームから名付けられたスニーカーは、当然のごとくスニーカーヘッズによる争奪戦を巻き起こしました。

カニエ・ウェストとナイキの契約は2013年に終わってしまいますが、彼はその後すぐアディダスと契約をし、さらなるスニーカーブームを引き起こします。

つまり、イージーシリーズの人気はナイキから始まったと言っても過言ではありません。

『Nike Air Yeezy 2 (2013,2014)』

 

2014年 エアマックスデー初開催

2014年3月26日。この日に、毎年おこなわれる名イベント「エアマックスデー」がスタートしました。

3月26日とは、エアマックス1が初めてリリースされた日。

記念日を制定したことで、ナイキとしてもコラボや復刻モデルを打ち出しやすくなったようです。

例年、さまざまの名エアマックスをリリースしており、「エアマックスゼロ」やアトモスとのコラボ「エアマックス1」復刻などでファンを歓喜させ続けています。

『Nike Air Max Zero (2015)』
『atmos × Nike Air Max 1 “Elephant” (2020)』

 

2017年 オフホワイトとの”THE TEN”シリーズ

2017年、今は亡きヴァージル・アブロー率いるオフホワイトとのコラボ企画「THE TEN」シリーズがリリースされました。

THE TEN」シリーズとは、ヴァージルによってデザインされた10足のスニーカーコレクションです。

この時、ナイキはとうとうコラボデザイナーにカラーだけでなく、ベースデザインをいじることを許可したと言われています。

例えば、「オフホワイト × エアジョーダン1″シカゴ”」は、スウッシュを後付けしたようなデザインに。そして”AIR”など各パーツに名前を刻み、通常のエアジョーダン1と全く違う仕上がりを採用しました。

『Off White × Nike Air Jordan 1 “Chicago”』

 

2019年 フルマラソン 2時間切り

ファッション業界への影響が強まっている2000年代ですが、もちろんスポーツでも類まれなる実績を残しています。

2019年まで、ナイキはフルマラソン(47.195km)を2時間以内に完走すること「Breaking 2」を目標に多くのランニングシューズを展開していました。

その悲願が叶ったのが2019年の非公式レース。世界記録保持者の”エリック・キプチョゲ”とランニングシューズ「アルファフライ ネクスト %」によって達成されます。

選手の努力はもちろんですが、ナイキの技術力への飽くなき探求心によって最高のテクノロジーを生み出し、世界一のランニングシューズブランドの地位を獲得することとなりました。

『Nike Alphafly Next %』

 

2019年 トラヴィス・スコットとのエアジョーダン1

フルマラソン2時間切りと同年、ナイキは歴代最高のコラボエアジョーダンとも謳われる「トラヴィス・スコット × エアジョーダン1」をリリース。

通常のエアジョーダン1にはない、リバーススウッシュこと逆向きのスウッシュが刻まれたルックスによって、多くのスニーカーヘッズの心を奪っています。

このモデルをきっかけにスニーカー好きになったなんて方も多くいらっしゃるようです。

また、このリリースをきっかけにスニーカー市場全体の注目度が上がることとなり、フェイク品がそれまで以上に横行するようになったと言われています。

『Travis Scott Nike × Nike Air Jordan 1 High』

 

2020年代 ダンクブーム

2020年代に入ると、スニーカーブームが世界各国で巻き起こります。

その主役はなんといっても「ダンク」でしょう。

特に「コラボSBダンク」の人気はすさまじく、10万円台のプレ値スニーカーを連発します。

それまでのSBダンクと違い、「チャンキーダンク」などデザインの自由度の高さが際立っているのが特徴的です。

『Ben & Jerry’s × Nike SB Dunk “Chunky Dunky”』

 

まとめ~そして未来へ~

スニーカーカルチャーを体現するブランド「ナイキ」。

ここまでの歴史を見ると、自社のみならず、他ブランドや業界自体に大きな影響を与えていることがわかりますね。

そして現在も多くの方を一喜一憂させるほどの影響力を持っています。

これからもナイキは新たな伝説を生み出し、カルチャーを巻き込んでいくことでしょう。

それが楽しみで仕方ありません!!

ナイキさん、いつもありがとうございます!これからもよろしくお願いします!

 

それではまた

SEE YOU SOON👺

 

 

画像引用:NikeSneakernewsSolecollectorHypebeastSneaker Freaker2nd StreetSBD、Nicekicks、WORLDCELEBSLACEDNEWSWEEKLUXUARYABOBElesitedelasneakerFASHION ARCHIVESNIYWsneaker-forum.nlGRAILEDsuelasdegomaINC

 

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